正解は1つじゃない

我が家のトイレには神様がいます。気になる事を抱えてトイレに座ると「まぁ、細かいことは気にしなくていいじゃないの」と、気持ちを和ませてくれるのです。

 

明日からの仕事始めに妙に意気込んでしまい、たまに顔を出す気真面目な私の分身が、「初日からしくじるわけにはいかない!」、「目標をしっかり決めて望まなきゃ!」と脳内を駆けずり回っていても

 

「ガチャリ」

 

トイレに座って、目の前にあるこの絵を眺めると、徐々に騒ぎは収まっていきます。

 

どこからどう見ても落書きにしか見えない2枚の絵は、私の妹が描いた作品です。何を描いたのかは不明で、そもそもに飾る向きがこの方向で正しいのかすら分かりません。トイレに入るたびに目に入るのですが、毎回違ったものが描かれているように見えます。人の顔に見えることもあれば、象が水浴びをしているように見えることもあるのです。

 


「この絵に何が描かれているか答えてごらん」という神様からの質問がもしもあるとすると、答えた全員が正解になります。作者すら描いているものが分からない抽象的な絵なのだから、何を答えても正解なのです。

 

正解は1つしかないと考えてしまい、「きちんとやらないといけない」と空回りしやすい私を、この絵は「見る人によって答えは違う。正解は1つじゃないよ」とたしなめてくれます。

 

たまにトイレの神様は、もう1つ質問をしてきます。「この絵が何に見えるか出来るだけ多く答えてごらん」と。頭をひねっても、1人で考えつく答えには限りがあります。

 

何に見えるか答えは人の数だけあるのだから、出来るだけ多くの答えを考えられる想像力が豊かな人でありたい。自分の答えだけを押し付けるのではなく、「そんな見え方もあるんだね」と自分では思いつかなかった答えも正解だと認められる人でありたい。私が大事にしたいことを思い出させてくれる神様が、この絵には隠れています。

(影山)