待っていてくれる人がいる

「来てくれてよかった、待ってたよ」

あの時、そう言ってくれたご利用者さんがいなかったら、介護の仕事は辞めていただろうと思う出来事が、私にはたくさんあります。

 

新人だったころは、毎日が驚きと後悔と不安でいっぱいでした。代わる代わる違う先輩職員さんに付いて回って、1から介助を教わっても、教える人によって違う介助方法に、何が正しい介助なのかが分からず困りました。分からないことを質問しようにも、先輩はいつも忙しそうで、体中からピリピリとした緊張感が漂っていて、話しかけづらい存在でした。

 

先輩職員から「〇〇さんにお茶をのんでもらってきて」と指示をもらっても、〇〇さんは「いらない」と飲むことを拒んだり、繰り返し声をかけても飲んでくれず困り果て、先輩にどうしたらよいか尋ねるも「もういいから、あっちでタオル畳んでて」と、嫌な顔をされてしまったり。今となれば、ただでも職員の数が足りない中で右も左も分からない新人を教える大変さも少しは理解できますが、教えてほしいと頼んでも「出来ない人にかまっている時間はない」と切り捨てられてしまうのには、堪えることもありました。

 

“人のためになるどころか、人の邪魔をしてしまっている”出来ないことだらけの仕事に囲まれて、何もできないことを思い知るだけの時間によって、いつしか私はここにいても意味がない人間だと思うようにまでなっていました。「人に喜んでもらえる仕事がしたい」なんて、ありきたりなイメージで介護の仕事を選んでしまった自らの考えの甘さを後悔しはじめ、ついに「辞めたい」と言おうと、決意して出勤しました。

 

朝、いつものように部屋に行くと、「来てくれて良かった、待ってたよ」そう、私の顔を見て嬉しそうにご利用者さんが笑っていました。聞き慣れない言葉に、すぐには理解できず呆気にとられている私を見て「良かった、良かった」と、繰り返し手をさすってくれました。

“待っていてくれる人がいる”

手から伝わってくるそれだけのメッセージで、また出来ないことに挑める気力が戻りました。見透かされているのかと思うほどのタイミングの良い、同じような出来事はその後も何度も起こりました。

 

「仕事は大変なものだよ」、「自分の頑張りが足りないんだよ」、先輩方はきっとそう思うのでしょうし、その通りだと思います。出来ないことにへこんで、辞めたいとまで毎回思っていた私は甘かった。

けれど、ご利用者さんが言ってくれた「待ってるよ」は、甘やかすための言葉ではなかったのだと思うのです。私には、頑張れという励ましの意味を持った、「“あなたのことを”待ってたよ」に聞こえました。そんな存在を感じられると、また明日も頑張ろうと思えていました。

 

私が介護の仕事をはじめたのは、あの記録的な大雪の年でした。

あれからもう何年もたったにもかかわらず、へこんでは、また思いなおして頑張ろうとする日々を繰り返してしまいます。

(影山)