見せたくない部分だからこそ

「他人の排便をここまで喜べる仕事って他にないよ」

とあるグループホームの施設長は、介護の仕事の魅力を堂々とそう語ってくれました。

 

施設で暮らす高齢者は、さまざまな原因が重なり合って便秘になりやすいものです。高齢になることで、腸の動きは若い時に比べて衰えて、服用している薬の副作用も考えられます。飲み物を飲むことが億劫になって飲む量が少なかったり、意識的に身体を動かさないと運動不足にもなりがちです。

 

施設では朝や夕方の申し送りで

「〇〇さん、今日で3日排便がないです」といったような報告があるのが日常風景です。

 

3日も排便がないとなると、ご本人も気持ちのいい状態ではありません。認知症のご利用者さんであれば、落ち着かなくなったりしてしまう原因にもなります。

 

ご利用者さんに多めに水分を飲んでもらうなど働きかけます。腹部をマッサージして腸の動きを助けたり、職員さんもあの手この手で手を尽くします。

 

「やっと出ました!!」

宝くじでも当たったかのように職員さんの声も高鳴ります。もちろんご利用者さんもすっきりした表情になりますが、同じぐらい職員さんも嬉しくなってしまうものです。

 

冷静になって考えると、他人の排便を心配して、ようやく排便があると、高い山でも一緒に上ったかのように達成感を感じて喜んでいる姿は可笑しいはずです。けれども、食べること・排泄することは人の生活の基本でもあります。それなくして楽しいレクリエーションの時間も、カラオケの時間もあり得ないのです。

 

綺麗なことだけじゃない介護の仕事だけれど、たとえ家族であってもしないような、ご利用者さんの排便の心配を真剣にできるのは、その人を想うがゆえです。人にそこまで深く関われる仕事、たしかに他にないのではないかと思うのです。

 

綺麗な部分とそうではない部分、どんな仕事にもそれはあるけれど、そうではない部分であっても、ご利用者さんのことを想って介護していることはなんら変わりません。むしろ、ご利用者さんにとっても職員さんにとっても、見せたくない見たくない部分だからこそ生まれる感情って、作り物ではなくて得難いものだと感じます。

(影山)