認知症になっても、私は私。いきなり別人や怪物になるわけじゃない。

レビー小体型認知症の当事者である樋口直美さんの講演を聞きに、港北図書館へ行ってきました。実務者研修の授業の始めに、望月先生が「当事者の方が話に来てくれる講座がありますよ」と案内していたのを聞いて、興味を持ち応募しました。

 

レビー小体型認知症とは、レビー小体という特殊なたんぱく質が脳の神経細胞の中に出現し、神経細胞が神経をうまく伝えられなくなり、認知症の症状が引き起こされます。主な症状として、パーキンソン症状(こきざみ歩行等)、幻視、レム睡眠行動障害(寝言が大きく、夢のとおり激しく動く)等があります。しかし、症状の現れ方は多種多様です。

 

ガンなどの他の病気と違い、認知症について本人の口から語られる機会は稀です。本人はどのように周囲や自分について考えているのか。介護者や家族が知ったように本人について話すのではなく、想像で慮る(おもんばかる)しかなかった本人の気持ちや世界を知りたいと思っていました。

 

「世間の認知症の人のイメージは、まるで深海魚の“アンコウ”を見るかのようです。認知症だと診断された時点で、もう人間として見てもらえなくなる。怪物扱いされてしまうんです。別に認知症になったからといって、それまでの私はいなくならないのに」と、50歳でレビー小体型認知症と診断された樋口さんは、世間の人の持っている認知症のイメージを語っていました。

 

「みんな認知症になったら人生終わりだと思っていませんか?認知症の人のことを『この人“ニンチ”だから』と言ったりしていることが、介護施設や病院でよくありますよね。そこで“ニンチ”という言葉の後に省略されているのは、「素晴らしい人よ」では決してなくて「何も分かりませんよ」とか「気を付けて」とかマイナスなニュアンスの言葉ばかりです」

 

レビー小体型認知症になって、体に様々な異変をきたし不調が起きているにもかかわらず、樋口さんの口から語られることの多くが「症状」のことではなく、認知症に対しての「周囲の反応」でした。症状による苦しみや辛さ、想像しきれない部分はあるはずですが、その病に対する無知や無理解からくる偏見がどれほど大きな影響を与えているのか。それこそが知るべきところなのだと思いました。

 

「昔は、みんな認知症の知識がなかったから、発見がものすごく遅くてかなり進行してからでないと見つけられませんでした。けれど、今は少し何か忘れただけで、家族や周囲の人たちが『認知症ではないか?』と疑うようになりました。今、若年性認知症と診断されても、周囲の理解を得ながら仕事を続けられている人もいるのです。『次に会うときには忘れてしまっているからよろしくね』と言えてしまうだけで、生活しづらさはグッと減ります」

 

実際に、樋口さんはレビー小体型認知症と診断を受け、適切に病気と向き合うことで症状は大きく緩和されていると話していました。人によって症状の種類や現れ方も異なり、他の病気と合併などもするため、「認知症」とひとくくりにすることすら、正しいのだろうかと最近は考えているそうです。

 

症状を悪化させる原因はストレスだと、樋口さんは自身の体験から力強く語っていました。

「ちょっと間違えたら、『もう認知症だからできない』と言われたり、間違えちゃったらどうしようと過度な不安でストレスがかかると、症状は簡単に悪化します。家族に怒鳴られたりなんかしたら、もう最悪です」

周囲の目の恐怖は想像しているよりもはるかに大きく、介護者でもある家族からそんな目で見られたらいたたまれません。

 

けれども、希望もあるのです。

「私が体験から知った改善策は、人と笑い合うことでした。間違えてしまっても『いいよ、いいよ』と受け入れてもらえることが安心なんです。介護してもらう側、介護される側ではなく、対等な人間関係があること。別に認知症になったからといって、健康な人と比べて劣っているなんて思っていませんから。気の持ちようとよく言いますけれども、本当にそうなんです。気持ちも体も脳もつながっています」

 

人とのかかわりが苦痛にもなれば、人とのかかわりが喜びにも、ひいては改善策にもなりうるのです。

 

85歳で50%の人が認知症を発症し、100歳ではほぼ100%の人が認知症になるという統計があります。その数字を目の前にした時、認知症は全ての人にとって他人ごととは言えない話になります。

 

「認知症になったらどうしよう」と考えた時、「嫌だな」と思うのならば、その理由はどこにあるのでしょうか。何かを忘れてしまったり、できなくなることにではなく、「生活が不幸になると思う」ことにあるのではと樋口さんは言います。

 

認知症の症状や困った末の行動だけが1人歩きして、恐れるだけで終わっていては何も始まらないのです。

 

『認知症の人は、周囲を困難な状況に陥れる困った人、理解力のない人、異常な人ではなく、困難な状況にある、まともな人』です。同じ目線で歩けるようになることが、私たちにとっての大きな課題なのだと思いました。

(影山)

 

*樋口さん自身が体験を書いている連載『誤作動する脳 レビー小体病の当事者研究』(エッセイ)についても、講演の中でふれられていました。とても読みやすく、ひとつの記事からも多くの気づきが得られます。ゆっくりと読み込んでみたいと思います。