記憶を失うと、その人はその人でなくなるのか?

介護・福祉に携わる者としてこういう問いには、「そうじゃないよ。記憶を失っても、その人らしさはなくならないよ」と、答えをもってきました。けれどもお恥ずかしい話、その理由を理論的に説明することはできず、どこかポジショントーク的な宙に浮いた答えだったと思います。

 

介護の現場で働く中で、認知症の方の不可解な言動や行動に驚き、迷い苦労することもありましたが、それはほんの一端にすぎず、落ち込んだ時にもらったふとした優しい言葉に慰められたり、ご家族との思い出を幸せそうに語る姿にふれることで「失うことばかりではなく、できることもある」と感覚的に判断していました。

 

昨年書店で「脳科学者の母が認知症になる―記憶を失うと、その人はその人でなくなるのか?」を見つけた時、その副題に吸い寄せられ即座に購入しました。難しい専門書でもなく、かといって経験だけが記された記録のような本でもなく、認知症の母と家族が日常で遭遇する出来事を、娘でもある脳科学者が専門家の視点から分析した切り口が新鮮でした。そして、母という一人の家族を大事に想う娘の目線という土台が常に感じられる温度がそこにはありました。

 

新宿区と都民勉強団体のパートナーシップ講座として、著書である恩蔵絢子さんが講義をすると知り、参加してきました。迎えた当日、「初めての著書の初めての講演です」とスタートした講演は、認知症について脳の構造や機能を知ることで、立体的に学びなおしているように感じる時間でした。

 

現在一番発症数の多いアルツハイマー型認知症では、脳の海馬と呼ばれる部分が委縮し新しいことが記憶しにくくなるという症状が初期に現れます。新しい出来事は海馬を通ることで、大脳皮質という「記憶の貯蔵庫」に蓄えられる形に変化します。アルツハイマー型認知症の人が、昔のことは鮮明に覚えているというのは、昔の記憶は既に長期記憶として大脳皮質に蓄えられているので、それは傷ついていないということです。けれども、海馬は大脳皮質に蓄えられた記憶を呼び覚ますときにも使われます。そのため、大脳皮質に記憶としては蓄えられていても、海馬が委縮したことにより上手くアクセスできなくなり、思い出せなくなるということはあるのです。

 

これだけでも「昔のことはよく覚えているのになぜ今、ごはんを食べたことを忘れてしまうのか?」といった疑問の答えにはなり、脳の機能や構造を知っていると不思議に思える行動の理由がわかりすっきりします。

 

アルツハイマー型認知症になり、海馬などの機能などが失われていくできないことも増えますが、それが「その人がその人でなくなること」とイコールと考えるのは雑なように思えます。

 

“「何かが効率的にできる」「論理的に物事が考えられる」「誰かの為に何かがうまく実行できる」という能力だけが、母らしさを形成していたわけではないのだ。(省略)-母は、私たちに対してたくさんの愛情を変わらずに持っている。認知機能の作る「その人らしさ」の他に、感情の作る「その人らしさ」があるのである。”

と、著書にあるように、「その人らしさ」とは何かができたりできなかったりする表面的なところではなく、もっと深層的なところに存在し、それはたとえ記憶が侵されてもなお失われることはないはずです。

 

講演の中で特に印象に残ったのは、恩蔵さんが認知症になった母に教えてもらったとあることです。

 

ある日、友人と演奏会に出かけたお母様に、家に帰ってきてから恩蔵さんが感想を尋ねると「楽しくなかったわ」と返事が返ってきて「せっかく、友人が誘い出してくれたのに・・・」と、納得がいかず、時間を空けてもう一度演奏会の感想を尋ねると「とっても楽しかったわ!」と嬉しそうに答えてくれたのだそうです。

 

“認知症の人の話には一貫性がない”と、新しいことが覚えられない影響で引き起こされる問題のように扱われてしまいそうなやりとりですが、恩蔵さんはお母様の言っていることはどちらも本当なのだと気づくのです。

 

数時間にも及ぶ演奏会において、「楽しくないな~」と感じる瞬間も、「とても楽しい」と感じる瞬間もあるはずなのです。一つのできごとにおいて、いくつもの感情を抱くことは何もおかしいことではなく、私たちは勝手な思い込みで一つの出来事に対して沸き起こるいくつもの感情を、意識的に絞り込んでいるだけとも言えます。そう考えると、小さなのぞき穴から見る景色と、視界一面に広がる景色を見るときほどに世界の見え方が違うように感じ、豊かな感情を抱けることがうらやましくも思えてきます。

 

講演を聞いていて、温かさで胸が詰まる思いをしたのも初めてでした。それはきっと、その道の専門家であるだけでは語れない、認知症の母の気持ちを通訳してくれているような肉体感が節々に感じられたからだと思います。感情を揺さぶられ、新しい発見もある貴重な体験になりました。

 

ここに記したのはほんの一部で、講演の内容はぜひもっと多くの人に聞いてもらいたいと思うものでした。そうとなれば、ケアカレナイトですね。

(影山)