快刺激を意識する

初任者研修の医学の授業を、6年ぶりに聴講させてもらいました。昼食後の眠気に誘われて万が一にも眠ってしまったら笑いごとでは済まないと、妙な緊張感のなか臨みましたが、見事杞憂に終わりました。

 

6年前に初任者研修を受講させてもらったので、今回は2度目の医学の授業だったにも関わらず、「この話、聞いたことがある気がするけれど面白い」とついひとつ残らず聞きたくなり、藤田先生のテンポの良い話し方も相まって、本当に1日があっという間でした。

 

施設や病院など具体的なシチュエーションにおいて、認知症のあるご利用者さんとのやりとりには、「そういうこと、あるある!」と自分の経験と重ねる部分もあり、身を乗り出すようにして聞いていました。ポイントを押さえた疾患や観察点もとても分かりやすく、6年前に一生懸命取ったノートが、その時勤めていた特養の現場ですぐに役だったことを思い出しました。

 

また、どんな人に対しても潜入感を持たずに、個別性をもって関わる重要性や介護者の関わりがご利用者さんに与える影響などは、改めて考えなおす部分でした。

 

また、今回とても印象に残ったのは、認知症のある人との関わりのなかで、快刺激を意識すると良いという話でした。ご利用者さんにとって嬉しいこと、楽しいこと、心地よいと感じることを意識するということです。手をマッサージするなどの直接身体に触れる物理的な刺激だけでなく、好きな音楽をかける、花見をする、炊き立てのごはんの香りをかぐなどの五感に働きかけることもそうです。

 

自分に置き換えてみると、母の手が触れたときの、なぜか言葉にはできないけれどもホッとする温かな気持ちが快刺激として思い浮かびます。母がこれまで私を大事に扱ってきてくれているからこそ、その手が本能的に自分の味方であると感じるのでしょう。

 

会話のやりとりなどで得られた心理的な安心感や充足感も、快刺激のひとつです。障害のあるご利用者さんであれば、「お湯は?」と聞かれたら「ポットの中です」と答えるというように、決まった問いに決まった答え方を毎回することで、ご利用者さんが安心できるというように快刺激のポイントは人それぞれ。

 

また、認知症のある方と関わるときに、Aさんが声をかけても一向に話を聞くそぶりが見えないときでも、Bさんの話であれば「じゃあ、そうしようか」と素直に聞いてもらえたりするというように、介護者とご利用者さんの普段からの関わりが、いざという場面においても非常に重要な役割を持つのです。そのためには、心地よいと感じる刺激は人によって異なるので、その人固有の快刺激を知り、関わることが大切です。

 

 

ケアカレナイトでも講演して下さった脳科学者の恩蔵絢子先生は、著書「脳科学者の母が認知症になる―記憶を失うとその人は“その人”でなくなるのか?」でこう語っています。

“ときどき母の友人が母を食事に誘い出してくれる。しかし、帰ってきた母に、私が「どうだった?」と尋ねると、その友人と会ったことすら忘れていることがある。こんなことがあると、せっかく連れ出してくれた友人に失礼だと思って、私は、ショックを受けてしまう。しかし、これも言葉ではその記憶を取り出せないだけで、母の体には「その人に親切にされた」ということが、確実に、また一つ蓄えられているのではなかろうか?体としては、外にも出られ、普段会えない友人の顔を見て、普段と違う会話をして、おいしい食べ物を食べて、新しい経験をしているのである。”

 講演のなかで、このような記憶のことを“肌に残る記憶”と恩蔵先生が称していました。たとえ表面的には、その刺激も記憶も残ってはいないように見えても、たしかにそこにあるのです。いつも自分に優しく、心地よい気持ちにさせてくれる相手には安心しますし、それを何かしらの理由で思い出せなかったとしても、「この人といると落ち着く」と感じるように、その人のどこかに積もり、蓄えられ、残っていくものなのです。その逆も然りで、不快な気持ちを抱くような関わりをしていたら、相手には嫌な記憶が残ってゆくはずです。

 

相手にとっての快刺激を普段から意識することで、ご利用者さんにとって心地よいと感じてもらえる関係性が自然と築かれてゆくのです。

(影山)